福 聚 院 規 則




お付き合い出来る方(関係者)のみ、お付き合いすると言う事で対応しています。

関係者(臨済宗円覚寺派の末寺の檀徒又は信徒)である場合。
 以下の条件の方々である。

臨済宗円覚寺派の末寺の檀徒信徒は、
臨済宗円覚寺派の末寺の檀信徒名簿に記載されている方。

臨済宗円覚寺派の教義を信奉する者を檀信徒と言う。

臨済宗円覚寺派に所属して、仏事法要を委託する者を檀徒と言う。

臨済宗円覚寺派の寺院維持経営に協力する者を檀信徒と言う。

※上記に該当しない方は、その都度検討して、それなりの対応をする。


位階料、基本的には一回限り、 位階相当の義務(布施)をした場合のみ永代とする。

日々檀信徒として、貢献積み重ねの結果それなりの(感謝を込めて)戒名を授与する。


規則は平等であり(規則は平等に、てきようしなくてはならない)
守られて規則として成り立つ。





規則を持って寺院運営をする。

規則

規則(きそく、ルールとも言う)とは、人の従うべき準則であり、
主に文章によって規定されたものをいう。

なお、
規則に定められたものを原則(げんそく)、または本則(ほんそく)とも呼ばれ、
規則に規定されていない事項については例外(れいがい)と称される。

個別の名称にはさまざまなものがあり、規則のほかに規程、規定、規約、基準などがある。

また、ある物事と別の物事との間に一定の関係が見られるとき、
その関係を規則あるいは法則と言う。































































 上記について

当方の解釈(役員の解釈はその時により違うようである。)

規則作成には話し合いがなされ議決事項が残されているはずである。
平成九年以降お布施についての議事録
日時、場所、出席者、議案、議事経過、議決事項、
議決年月日署名捺印

議事録に記載されている解釈が本来の解釈と思われるか゛当方にはしめされていない。

  住 職
※適用の金額、お布施十五万円以上は2、通夜。6、本葬儀のみ。
     御車料五千円は9、御車料。(二日分)
         
以下は別料金
1、戒名料については位階に関する規定にそって対応して頂いている。
福聚院護持会平成八年度総会承認位階の規定の議事録
(日時、場所、出席者、議案、議事経過、議決事項、議決年月日署名捺印)
に議決事項が残されていると思われる。

7、納骨経、一万円以上〜+車代五千円
8、初七日、一万円以上+車代五千円
毎七日忌、一万円以上+車代五千円
出棺経火葬収骨経等は各別料金一万円以上+車代五千円


役 僧
適用の金額、お布施五万円は1、本葬儀のみ。
           2、初七日、一万円以上+車代五千円
         御車料五千円は3、御車料。(一日分)

















長年の無住時代の為、信心が都合のよい解釈に曲げられているように思われる。

兼務住職はは葬儀と法要のみ行う
兼務住職の都合で合同で法要の場合もあったようである。
兼務住職のいい加減さに信心失う。
世間体と先祖の供養の為形式的に葬儀法要を兼務住職に依頼する。

兼務住職の評価は低くなる。
期待はしないので、価値観も低くなる。

寺院役員は慣例と言う言葉を利用して
役員の都合の良いその場しのぎの寺院運営の結果
規則より(規則置き去り)慣例の寺院運営も一時期あったようである。


兼務住職も(役員任せ)、寺院役員も(慣例どうり)

利用

お寺の事では無く、自分たち都合優先。

何のためのおてらか

存在の意義はあるのか

心の安らぎを与えられているのか不明。


本音と建前

いわゆる「本音」は、何がしかの事柄に対して、
個人や集団に共有される意識に内在する感情や欲求を含む
価値観に照らして心に抱かれるものであり、
これは全く自由な心の働きによって形作られる。

同義語にはいわゆる「本心」が挙げられ、自身に対する偽り(嘘)を含まない。

ただこういった本音は、
その人や集団が社会から期待されていたり求められるものとは食い違うこともある。

そういった対外的な要素を加味して形作られるのが「建前」である。

建前では、本音のうちで余り他に知られることが芳しくない事柄が語られない一方、
例え本音では自身が望まない事柄であろうとも、
それを肯定することで結果的に自身の望む結果が期待されるなら、
敢えて認めるなどされる。

建前は「表向きの方針」とも解され、実際の方向性はともあれ、対外的に表明される





坊主の言う事はそのままでは、受け入れられない。
(お布施の事や寺の事に口をだすが)

坊主を評価するのは檀家なり。
大切お金を出すのだから。

坊主は檀徒に対して何をしてくれるのか。
してくれた事がそれなりに価値があるのか。
(価値の判断は個人差による、一律ではない)
権利のみ主張で義務は平等は、平等か。

縁無き衆生は度し難し
僧侶の意見を求めず、葬儀屋の意見等を優先す
地域住民は平等では無く上下あり、個人の意見でなく
まわりの意見で結果がでる。


心が伴わなければ、無功徳
自分たちの都合で昔のかたちをこわし、儀式も簡略化し

故人の価値をかたちにあらわす。
(お布施は少なく、葬儀屋にはそれなりに)

葬儀の負担を少なくする
(戒名は授与とし、布施は葬儀分のみとする)
権利のみ主張で義務は平等は、平等か。

個々と話し合いが出来れば話をして対応
個々の意見は尊重

個々と話しあいが出来ず
慣例により役員の承諾の上の行動については
慣例に任す。

役員の責任で対処していただきたい。

住職の責任追及されればそれなりに対応


色々な意見を話しあいにより解決が必要

話しあわなければ解決しない。

決めた責任者は名前を列記するべきである。

3年から5年に一度見直し必要。


話しあった事は議事録に記載する事。

日付
場所
参加者
決まった事など。


和合が第一

現在の住職は留守番程度の力量しかない。

後任住職が入寺するまでの留守番。

人に任せることが和合につながる。
住職が先頭に立つ必要も無い場合もある。
皆とともに行けば良い。

役員の意見優先による和合
(足立管長様のお言葉檀徒に任せて寺を維持して行け)
和合の為


住職の発言行動には力はあまりない。

布教の力のいたらなさを感じる。

分相応の布教活動をにどう取り組んで行くか。


教義の教えを定着させる為には

迷っている人々を救うには

地道な努力と

それなりの後ろだてが無ければ厳しいと思われる。





   
    管 長 様 の お 言 葉 

  現在最も僧侶に求められているのは、
  高圧的な態度で布教を行うのではなく
  平等の精神で、ともに汗を流して布教
  活動を行う事だと思います。

  そのためには徒弟教育に今以上力を
  入れるべきではないか、と思います。

  葬儀屋墓地に関する問題も近年注目
  されておりますが、
              地域差も大きく、
  また歴代の伽藍を守り続けてている寺院と

  全くそうしたものを持たない、もしくは必要と
  しないケースが
         全てひとくくりで論じられるのは
     いかがなものか、と感じています。

  そうした時事的問題に対しても、
  人々の声や世間の声に真摯に耳を傾けて

  、宗派の枠を超えて問題意識を共有して今後に
  生かしていく事が肝要と思います。

  ZENBUTSU2010年10月1日 より抜粋

布教とは

坊さんを受け入れてくれる環境づくりして
(過去の色々な住職と檀徒の意見の相違、問題対する価値観)
価値観の相違をどうするか。


寺に身をささげ、檀徒に、あんじんを施し振る舞う心。

そこが難しい。


規則を遵守しながら、和合を持って対応。

今は自分なりに出来る限りの努力をして対応。

慣例で不首尾した場合は
(役員が独断で行った事でも)
当然の事ながら
責任を(住職)自分一人でかぶらなければならない。

信頼回復の努力、日々の行動で対応。



管長様よりかつて

徳(とく)は孤(こ)ならず必ず隣(となり)あり
《「論語」里仁から》徳のある者は孤立することがなく、理解し助力する人が必ず現れる。

の墨蹟を頂きました

努力はしているつもりですが、いまだたりずのようです。



後の事は後に任せる。


管長様直属の弟子なら、その裁量で檀徒の信心はもどると思われる。

良い修行の場である。

管長様の弟子と言う事だけで聞く耳を持ってくれると思われる。

縁があれば来て頂けると思われる。


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