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Shizuoka Izu HATSUMA 371-3
保福院 HOFUKUIN (temple)
プロフィール
FUKAZAWASOUNIN (chief priest),
                            
                      



別 記 プロフィール

人生一人旅
やっとここまでたどり着きました。

マダマダ先は長そうです。

砂漠の景色、人生旅路
この山の向こうにオアシスがあります。
無ければその先の山の向こうにきっとあります。

今は足元だけ見て歩きましょう。
一歩づつ進まなければ山の向こうに辿りつけません。
ここにはずっと留まれません。

      〔 座 禅 和 讃 〕          衆生本来仏なり                 水と氷の如くにて            水をななれて氷なく                衆生のほかに仏なし          衆生近くを知らずして       遠く求むるはかなさよ      たとえば水の中にいて       渇を叫ぶが如くなり    長者の家の子となりて           貧里に迷うに異ならず     六趣輪廻の因縁は           己が愚痴の闇路なり           闇路に闇路を踏みそえて    いつか生死を離なるべき          〔中略〕    當處即ち蓮華国        此の身即ち仏なり                  


考えるより行動です

(クリック一つで、別の世界に変わります。)

時はドンドン過ぎて行きます。
さてどの方向に行きましょうか。



Shizuoka Izu HATSUMA 371-3
保福院 HOFUKUIN (temple)

FUKAZAWASOUNIN (chief priest),




名   前

現在にいたるまで色々な名前で呼ばれてきた。

現在は深澤晋、〔ふかざわすすむ〕
深澤宗仁、〔ふかさわそうにん〕
等の名前で呼ばれている。


正統庵宗仁〔しょうとうあんそうにん〕

正統庵は、(表現できない)
裏に意味あり。
自分ではどうしょうもない過去から未来への流れ、
正統、としては認められない。
自分ではそうありたいとの願望か。

宗仁名前。 仁を宗とす。

自分にあった、
何ものにもしばられず自由な生き方。

人の豊かな生活はその人の努力によって達成された事と思う。
自分が望む生活が出来ないのはまだ努力が足りないのだと思う。

     今の生活で十分幸せと思っています。




 性  別         男    性

  住  所  伊豆市 八幡 の 法華堂

誕  生  日  1959年 1月 24日 正午

星  座   み ず が め 座

血  液  型  B    型

出  身  地 (それから現在まで)
狩野川台風(1958年9月)の為
寺院墓地一切流出。

八幡の中島にかつて寺と墓地があった。
(現在、伊豆市八幡630番地付近住宅地になっている)

台風通過後、寺のあった場所は河川敷となる。
軽い物は押し流され、重い物は近辺に埋まっていると思われる。
(住宅建設のさい墓の一部らしきものが出て来る事もある)

かつてこの地(八幡)には八ヶ寺あった。
昭和三十三年の台風によりゼロとなるが、

台風の翌年昭和三十四年、
仏縁のおかげさまを持ちまして、
日蓮宗熱海大乗寺旧本堂移築、保福院再建す。

この年、我中伊豆町八幡の
(現、中伊豆中学校敷地内)閻 魔 堂
(現、法華堂に移転している)
にて我、誕生す。

廃寺、(現、桜保育園敷地内)宝泉寺の墓地の上の町営住宅(現在、墓地)にて
幼少を暫く過ごす。

高校卒業までこの地にて生活。

高校卒業後すぐ、
鎌倉円覚寺専門道場にて修行始める。

最初の接心で長時間、座を組んでいた為
、脚が膿み病僧となる。

冬には(蝋八接心)、十二月、牧割りしていて
親指の爪の付け根の上あたり、先端落とす。

(薬で盛り上げる)
(先端は同僚がごみと一緒に捨ててしまった)

しかし足手まといにながらも何とか正月を迎える。
一番若い為、毎年(数年、自分より若い人が入るまで)
十二月三十一日除夜の鐘の頃、一人だけでふんどし一枚で水かぶった。

かたつむりの詩 −禅堂つれづれ物語−

二十三才で(祖母死亡の為)専門道場より修行
(優れた人で十二年間で一通りの修行終了と聞いています。)なかば下山、はかばかしい進展
も無く現在に至る。

地域の慣例(和合の為)を守る。

地域の価値観からすれば、
世間や檀徒に甘えている住職に対して、
我慢強い、檀徒総代に支えられ何とか生活している。

力が無い者(坊主)が上に立つとまわりが苦労する。
力がないからまわりがついてこない。

寺の維持と布教する事、慣例により分割でなりたっている。

檀徒は寺を維持する、(護持会にて維持管理)住職も自分で汗流し稼ぎ寺の維持に協力する。
責任重大である。

法(おしえ)を広める為には、
相手の信頼を得られなければ、何も進まない。


日々是好日、ただ繰り返す、毎日毎日。



性   格
ゆうじゅう-ふだん いうじう― 【優柔不断】
ぐずぐずして物事の決断のにぶい・こと(さま)。

むちもうまい 【無知蒙昧】
愚かで道理にくらい・こと(さま)。
 
ごうじょう がうじやう 【強情/剛情】
かたくなに意地を張ること。

自分の考えなどをなかなか変えようとしないこと。
また、そのさま。

等。〔反省すべきところ反省します。〕
反省して失敗いかせなければ、
 

趣   味

自然と接する、難しい本を読んで寝る

苦労を乗り越え人生を楽しむ。

時の流れに漂う。

死ぬる時を楽しみに、ただ生きる。

人を観察する。

 特   技
僧侶としての資格所得(沙弥職)〜(西堂職)
※法階は現状維持、先住職が東堂職の為。
    寺の留守番程度なのだからこれで上出来。
            分にあった職務をただ黙々と遂行するのみ。


 好きなもの
自然、〔心なごむ質素で穏やかな生活〕

雑炊 ぞうすい
 ざふ― 0 【雑炊】野菜・魚介類などの具と飯を入れて、醤油や味噌で味をつけて煮た食べ物。
おじや。[季]冬。〔古くは「増水」と書くことが多かった〕

鮨、刺身 ※肉も魚も野菜も果物も好きですが、
太りすぎになりますので、上記の雑炊にしました。


            ※上記の情報はすべて正しいとは限りません。






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      〔 座 禅 和 讃 〕          衆生本来仏なり                 水と氷の如くにて            水をななれて氷なく                衆生のほかに仏なし          衆生近くを知らずして       遠く求むるはかなさよ      たとえば水の中にいて       渇を叫ぶが如くなり    長者の家の子となりて           貧里に迷うに異ならず     六趣輪廻の因縁は           己が愚痴の闇路なり           闇路に闇路を踏みそえて             〔中略〕    當處即ち蓮華国        此の身即ち仏なり        (?_?)      (>_<)       (@_@)  自分の心を鏡にうつせば 私の中の      よからぬ者が       人に災いあたえているかもしれない 。(-_-;)       心に仏が住んでいれば    鬼とともに生活しても 平穏息災   極楽浄土      (;_;)  心に  鬼が住んでいれば  闇路に闇路の繰り返し    己が愚痴の闇路なり           いつか生死を離なるべき      いつか生死を離なるべき     いつか生死を離なるべき     遠く求むるはかなさよ 當處即ち蓮華国      當處即ち蓮華国     此の身即ち仏なり  (^^)/~~~   (~o~)    _(._.)_           


最後の選択は
選択すると今の価値観はすべて失われます。

機種変更しても
新たな機種にはすべてのデーターは引き継げるとは限りません。

一からやり直しになります。
(潜在的に過去のデーターの不具合引き継ぐ可能性あります)





そう簡単に終了できないようです。

もう一度、戻って、よく考え直しましょう。


保福院 、宗仁の世界