幻住派(国清寺)について資料
円覚寺史
昭和三十九年十二月二十日発行
春秋社 発行
上記より抜粋
第六章第二節 幻住派の導入と法系の大變動 の記載あり。
(内容省略)
第六章第五節 本末関係の成立 に国清寺の事が記載されている。
国清寺は、寛永十三年(1636年)九月十日、円覚寺から離れようとしたらしく、
その責を負わされ国清寺高岩院の悦蔵主が、幕府から非分を仰付けられて、
公儀裁許の上、伊豆の大島に配流になった。
そのあと円覚寺から玄旨妙義が国清寺に派遣されて、高岩院塔主となり。
これより幻住派の法流を持ち込み、これを流伝することによって
派内の結合を強化することになるのである。
しかし円覚寺との間の問題は悉片づいたわけではなく、
その後も種々の紛争がおきている。
(内容、以下省略)
第七章二節には 国清寺法脈異端一件 記載あり。
元禄十六年 内容省略 円覚寺に対する反逆行為。
円覚寺より(事件に対して)独立しようとするような暴挙を慎むよう言明を下している。
その後も円覚寺との抗争は已まなかったとみえ、金地院から公帖゜召し上げ、
離山を申付けられている。
(内容、以下省略)
第七章第七節に 国清寺僧堂、天保四年結制、開単の記載あり。
他にも記載あったが省略。
幻住庵清規
|