今後の対処方法?。








縁なき衆生(しゆじよう)は度(ど)し難(がた)し

仏の広大な慈悲をもっても仏縁のない人は救えない。

人の言葉を聞き入れない者は救いようがない。




基本的には


和 合 第 一


わごう ―がふ 0 【和合】

(名)スル

(1)うちとけて仲よくすること。
「家内の―することは/花間鶯(鉄腸)」

(2)結婚すること。男女が性のいとなみをすること。

(3)混ぜ合わせること。
「此を取りて―して父の王に奉る/今昔 2」

努力しても相手が受け入れなければ、

その為に色々な忍耐と犠牲がともないます。

譲りあえば収まるところ、

要求だけでは、片方に(生命財産までもか)負担掛かります。


今までの迷いの部分です。

心の問題です

本当の相手の気持ちがわかりません。


その状態でも和合を保つ事表向きは可能です。

しかし残念ながら内面で問題もあります。

相手の立場で考えても、、、、。


運営試行錯誤
葬儀法要布施選択
護持会関係資料


上記、今後、試行錯誤、改定検討中


この地域のこの時代に、この寺に住むにあたり


本来の立場、分にあった生活考えた時。



収入にあった生活をする。

貧乏なら、貧乏なりの生活する。

本来の修行は日々の生活である。


後任者が困らないように、別に住む場所や

当面の生活費を確保しておく事前に対処しておく


前任者から

戦犯のようなかたで

今まで引きついている

時は流れ

今まで生きて来た事について

どうゆう立場の人間かが最後に評価される。


努力が足りず、(努力が認められず)人の心動かす事出来ず

支援されないと言う事は、過去の

(生まれた時点で決まった)

経緯が大きい可能性もある。


時が過ぎても環境ととのはず

檀徒役員の立場で申し出があった場合

後任管理者との話が

(家から追放、すべての財産の差押え、等の話があった場合。)

(規則上、お寺と縁が切れているので特に保障する義務は無い。)


でも、互いの話あいで解決して頂くしか無い。

前任者の家族については後任者の判断に任せる


結果については地域の人の判断による所も大きい。

感謝されていれば、それなりの結果がきたい出来る。


居住権の問題は法律に詳しい人に相談する。


今日まで経緯について問題無いとされる件で

目に見えない所の解決が難儀である。


色々な人が介入した問題、自分たちで解決出来ない場合は

いつまでたっても火に油で、鎮火しない場合

公平な第三者に介入して頂く必要がある。


残酷な結果になろうとも、後をきれいにする為には、

責任取るべき人が責任取る事である。

取らせてもらっていない。

結果今日に至る。


規則より慣例が優先する以上難しい。



(地域の問題については宗派は介入せず)

前、住職個人(家族)の関係者保護

生活に関する今後

色々な問題点を探し

明るい未来を迎える為

人権擁護委員に相談と言う方法もあるとの事

(本来手ぶらで追放、寺院退去であるとの意見もあり)

(何かを請求することじたい生意気との気持ちありか)

地域寺院で、前住職でも葬儀省略(身内のみで)納骨の前例あり


義務の報酬として

回収できるものは(未払い給料、立替金、慰謝料等)回収して遺族に渡す。


住職にかかっていた死亡時の生命保険(九千万円)は護持会で管理し、

後任の住職の生活費、ならびに寺の維持の為に使う。

住職自信が個人で生命保険掛けていました。

過去にはそのように保険かけていましたが、

こちらの誠意通じつ゛

掛けた本人は死亡し残った保険金事態が

争いの本になる気配が

あり、こちらにもかなりの負担だったので

解約しました。



現時点

色々選択迫られれば、


寺と家族とどっちを選択するのか

(重きをおくのか)と問われれば


理想は、

(普通の生活したいが)

(無責任に)

家庭は持たない妻も持たない、

上の人からのアドバイス
結婚するならトラブル避ける為に財産ある人を嫁として迎え、
自分たちの生活費は嫁さんに稼いで貰い、
老後は寺を出て、嫁さんの財産で面倒見て貰い
寺に負担かけないことが望ましい。
家族は住職の足手まといになってはならない

上記にさんどう

役員からのアドバイス

結婚するならトラブル避ける為に財産ある人を嫁として迎え、
財産無くなったら切り捨てろ。

結婚していなければ夫婦の責任果たさなくてよい

檀家が跡継ぎ必要と判断したら、
新しい嫁さんもらって
自分たちの生活費は嫁さんに稼いで貰い、
老後は寺を出て、嫁さんの財産で面倒見て貰い
寺に負担かけないことが望ましい。

家族は住職の足手まといになってはならない

檀徒が不要と判断した人間は役員が追放させる。

住職は檀家の足手まといになってはいけない。




子供も持たない。

環境改善できない、苦労するのは目に見えている。

色々縛られ苦労の為に自殺するはめになるかも知れない。

(身内に怨まれないためには)

住職一代、壇徒代々。

(田舎の寺では)

自分達の生活費は自分達で稼ぎ、

壇徒や寺に負担かけない。


そのようなかたちで運営しています。




(その状況において)

職務が出来なくなった時トラブルを防ぐ為

後々の事考えて自分の住む場所確保する事が必要と思われます。


貧しいのでどうなるかわかりません。


今一生懸命やるしかないですね。


最後に一言




日々の生活に感謝


徳不孤必有燐


坊さんはお寺の収入だけで生活して、

生活費を得る為に働いてはいけない。

寺の仕事がおろそかになる。


上の考え方だと、貧しい寺は家族持てない事になる。

貧しければ貧しいほど人を減らさなくてはいけなくなる。

家族を切り捨てなくてはならなくなる、



人を頼らず(寺の収入)自分で働く(掃除夫、土建、仕事全般)事も必要思う。

お金のありがたみが実感出来ると思う。


坊さんだからとのプライドで出来ない仕事は無いと思う。

稼ぐ事は生きる事だから、

どんな仕事も仕事は仕事

貧しい寺ならなおさら、

と感じた


過去に

貧しい人の葬儀に出向いて、

葬儀場併設の火葬場に行った。


僧侶の控え室に案内されたら

大きい葬儀の僧侶の控え室で

貧しい人の葬儀の控え室は無かった。

ロビーで着替えて

自動販売機でお茶買って飲み

百円ロッカーに荷物入れ

葬儀した事あり。



厳しい現実があり。



慣例のままに、和合か

規則を通して、和合を壊すか。

結論は時の彼方にあり。


家族は重荷である、


存在しなければ、自分一人の生き死にで済む。


始まりも、終わりも一人の事

一人来て、一人去れば

又、新たに一人来て、一人去る

住職一代、檀徒代々の思想(慣例)


この事を根本から考え直さなければ、

家族を持つ坊さんは存在出来ない。


結論として

無理せず流れにまかせるしかないようである。



トップへ
トップへ
戻る
戻る