開経偈   無上甚深微妙法。    百千萬劫難遭遇。   我今見聞得受持。    願解如来眞実義。                             


  お 経 を 読 ん で み る   


 自灯明・法灯明 <涅槃経>

   自らを灯とし 法を灯とせよ

 「自灯明・法灯明」は、
釈尊が入滅される前に弟子(アーナンダ)に示された最後の教えだといわれる。

「他者に頼らず、自己を拠りどころとし、
法を拠りどころとして生きなさい」ということである。
まず「自分自身を拠り所にしなさい」である。

 「法」を頼りにすることは、外部の決まりごとに従えということであるが、
ただ、法に従うことにのみ忠実になってしまって、
法の奴隷になってしまうことの無いように
「己こそ己のよるべ」ということである

 この世では自己こそ自分の主である。


衆生本来、仏なりです。

自分は一人にあらず、ほとけともにあり


人は、仏心にうまれ、仏心の中でいき、仏心の中で一生涯を全うする


みずからをみつめなおして、いきましょう。



四苦八苦世の中すさんだめげそうなお経読んで自分の清めましょう。


衆生のほかに仏無し、衆生のほかに仏無し。

どうしょもない時はただひたすら祈るのみ。

ただただひたすら祈るのみ。

気持ちを込めて祈るのみ。

悩んで拝んで祈って、、、、、、。
   ホ(保)フク(福)in(イン) まじない。     伊豆の八幡の保福院(ホーフクイン) 幸福願う事あらば きっかけ大切その心 お参りしよう保福院(ホフクイン) 幸福、保(たもつ)おまじない。 ホー(保)フク(福)in(イン)in(イン)保福院(ホフクイン)     ホー(保)フク(福)in(イン)in(イン)保福in(ホフクイン)     ホー(保)フク(福)in(イン)in(イン)ほふくいん(ホフクイン)      福を保(たもつ)おまじない  祈る気持ちが実を結ぶ 帰依する仏は保福仏      仏は心に住まうなり 気づかぬままにすぎている 祈る心が 福招く。      信じる心が  身を救う 自分の仏を信じなさい。 心の仏を信じなさい。      あなたに ほふくいん、 ほふくぶつは あなたの心の中に 。     自分の心の仏信じて、生きて生きましょう。   南無、自分、保福仏  。     ※ ぶっしょう-どうたい ―しやう― 0 【仏性同体】         人は皆仏性をもっているから、仏と同体であるということ。         ぶっしょう ―しやう 0 【仏性】       〔仏〕 仏としての性質。仏の本性。仏となれる可能性。大乗仏教では、       すべてのものにそのような性質・能力がそなわっているという。       「いづれも―具せる身をへだつるのみこそかなしけれ/平家 1」                                       


自分のものにする、自分が取り込む。

あんじんはみずから求めた結果でえられる。



仏教経典というものは、もう読み尽くせないほどたくさんあります。


そして、その素晴らしい仏教を方便でもって説く宗派というのも、
又限りなくあるわけです。


ところがこの仏教の根幹というか、大本、
それが何であるかということは非常に今、把握しにくいんです。


一般大衆に対して

この部分の布教活動が充実されていないようである。

この部分が一番大事と思っています。


異教徒であっても、安心(peace of mind)を伝えたい。

(受け入れるかは個々の問題です。)

自分の力不足を痛感しています。


すばらしさを伝えられない、歯痒さがあります。

布教は一生の仕事です。









※下記のお経は当方個人と、当寺資料として記してあります。

下記のお経はあくまで当方の地域では通用していますが、


他の地域の同じ宗派で通用するとは限りません。

(下記のお経のよみかたにとらわれずに)


菩提寺があられる方は、菩提寺の住職様にご指導頂いてください。


http://www6.plala.or.jp/hofuku23/page006.html


   プロフィール より抜粋   自分自身、(愚かだなーと思いながらくり返す) すべては基本にはじまる、と思う。       無垢な人格が誕生した環境により、 ある程度まで、 自分の意思とは関係なく変化して行く、 ある程度環境で得た経験情報は 頭、身体で覚えている、 すべてを無垢にして生きて行く事はとても難しい、 過去の自分との戦いである。  子供の頃の良い環境での生活、人間として生きる為の、良い教育は とても大切と思います。      繰り返しの訓練していなければ 行動として行えない。      学ぶ力が無ければ学びたくても学べない。     学ぶと言う行為が行動に起こせないと言う事は 能力、力が出し切れない 何らかの原因があると思われる。   心の問題も関係しているのかも知れない 学ぶ、学習すると言う行為が、 どのように行うか 理解出来ていなければ行動、行為として出来ない。    例えば、今の自分の立場で子供に絵本を見せ、見て読んで説明する。 日本語の絵本なら理解でき だいたい内容を説明できると思う。   同じレベルの絵本でも漢字ばかりの絵本や 学んだ事の無い文字の絵本では読むことも、 理解する事も、説明する事も出来ない。  自分のレベルだと、その本見るだけで頭いたくなる。  楽な方に傾く   拒否したくなる  時間があり   それだけに時間が十分 (本を眺めて飽きない事からはじめる、)費やせるなら、 あるいはその本を読んで理解する必要があるならそれなりの努力をすると思う。   本を読んでも、 読む事は出来ても理解出来ない、 理解出来ても、説明できない。 説明できても応用出来ない、 さらに、その本の奥の意味、 深い表現のあじわいが理解出来ない。 その本の奥の意味、 深い表現あじわいを理解して 自分のものになるのではと思います。    普段読んでいるお経でも お経を眺めて、文字の意味でなく、その奥の表現、しんりを理解したと思っています。    一文字、一文字が、仏様と思います。    これは 、何にでも  つうじる事と  思います。   反復、訓練、 (反復、訓練)により、 その後の人格形成に大きな影響がある。   対象物(相手)の言葉、表現が理解出来なけれ ば、自分の意思を相手に伝える事出来ない。   自分の、えたものの深さに応じて、 それなりの人格形成が出きると思われます。   自分は日々大切な時間を無駄につかっています。   反省しています。     ある程度、自分の能力限界も感じでいます。    頭で考えている事と、身体の行動が、合致しないようである。     歳とともに益々機能低下して行くでしょう。    自分自身を把握、   ギャップとの戦いになりつつあるかも  。                             

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