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 心 の 資 料 室
 
 人の心というものの、勉強になります。
 
 自分の人生に、いかして、いければ良いと思います。
 
 
 http://www.hofukuin.com/FS/page011.html
 
 
 炎上 (映画)
 
 『炎上』(えんじょう)は、1958年8月19日公開の日本映画。
 三島由紀夫の小説『金閣寺』をもとに市川崑監督が映画化した、白黒作品。製作は大映。
 
 三島由紀夫の小説は、主人公の内面に迫る、
 あまりにも完成度の高い作品だったため、市川は原作の脚色は無理と判断した。
 
 そこで三島から創作ノートを借りて、
 これをもとに和田夏十にオリジナル脚本『炎上』を新たに書き上げさせた。
 
 そのため、
 映画と原作とでは登場人物の名やあらすじの一部が異なるものとなっている
 (例:金閣寺 → 驟閣寺(しゅうかくじ))。
 
 
 http://blog.livedoor.jp/michikusa05/search?q=%B1%EA%BE%E5
 
 
 
 
 破戒 (小説)
 『破戒』(はかい)は、島崎藤村の長編小説。1905(明治38)年、
 小諸時代の最後に本作を起稿。翌年の1906年3月、緑陰叢書の第1編として自費出版。
 
 被差別部落出身の小学校教師がその出生に苦しみ、ついに告白するまでを描く。
 
 藤村が小説に転向した最初の作品で、日本自然主義文学の先陣を切った。
 
 夏目漱石は、『破戒』を「明治の小説としては後世に伝ふべき名篇也」
 (森田草平宛て書簡)と評価した。
 
 
 作品解説・紹介 - 破戒('62)
 あらすじ - 破戒('62)
 天の知らせか十年ぶりで父に会おうと信州烏帽子嶽山麓の番小屋にかけつけた、
 飯山の小学校教員瀬川丑松は、ついに父の死にめに会えなかった。
 丑松は父の遺体に、「阿爺さん丑松は誓います。隠せという戒めを決して…
 
 『破戒('62)』あらすじ全文
 
 
 天の知らせか十年ぶりで父に会おうと信州烏帽子嶽山麓の番小屋にかけつけた、
 飯山の小学校教員瀬川丑松は、ついに父の死にめに会えなかった。
 丑松は父の遺体に、「阿爺さん丑松は誓います。
 
 隠せという戒めを決して破りません、たとえ如何なる目をみようと、
 如何なる人に邂逅おうと、決して身の素性をうちあけません」と呻くように言った。
 
 下宿の鷹匠館に帰り、
 その思いに沈む丑松を慰めに来たのは同僚の土屋銀之助であった。
 
 だが、彼すら被差別部落民を蔑視するのを知った丑松は淋しかった。
 
 丑松は下宿を蓮華寺に変えた。
 士族あがりの教員風間敬之進の娘お志保が住職の養女となっていたが、
 好色な住職は彼女を狙っていた。
 
 「部落民解放」を叫ぶ猪子蓮太郎に敬事する丑松であったが、
 猪子から君も一生卑怯者で通すつもりか、と問いつめられるや、
 「私は部落民でない」と言いきるのだった。
 
 飯山の町会議員高柳から自分の妻が被差別部落民だし、
 お互いに協力しようと申しこまれても丑松はひたすらに身分を隠し通した。
 
 だが、丑松が被差別部落民であるとの噂がどこからともなく流れた。
 校長の耳にも入ったが、銀之助はそれを強く否定した。
 
 校長から退職を迫られ、酒に酔いしれる敬之進は、
 介抱する丑松にお志保を嫁に貰ってくれと頼むのだった。
 
 町会議員の応援演説に飯山に来た猪子は、高柳派の壮漢の凶刃に倒れた。
 師ともいうべき猪子の変り果てた姿に丑松の心は決まった。
 
 丑松は「進退伺」を手に、校長に自分が被差別部落民であると告白した。
 丑松は職を追われた。
 
 骨を抱いて帰る猪子の妻と共に、丑松はふりしきる雪の中を東京に向った。
 これを見送る生徒たち。
 
 その後に涙にぬれたお志保の顔があった。
 
 http://blog.livedoor.jp/michikusa05/archives/51319745.html
 
 
 
 
 
 
 
 浦辺粂子
 
 生い立ち [編集]父は建長寺派・長松山泰平寺の住職(臨済宗)。
 「一生食べる米に困らないように」との願いを込めて、「くめ」と付けられる。
 
 1909年に、父が河津町見高の洞雲山隠了寺へ移ったため、
 見高入谷尋常小学校に入学。
 
 母の姉が、東京の明治座で吉野屋という売店を経営しており、
 いつも演芸雑誌や芝居の絵番付に触れていたことから、芝居好きとなる。
 
 5年生の時に、隣の稲取町にかかった
 連鎖劇(トーキー映画と舞台劇を組み合わせた劇)に心を奪われ、
 今井浜で近所の子と一緒に芝居ごっこに熱中していた。
 
 1914年に、父が駿東郡金岡村字岡宮(現沼津市岡宮)の
 妙心寺派・仏日山常照寺に移るにともなって、金岡尋常高等小学校に転校。
 
 1917年に高等科を卒業して、私立の沼津女学校に進学した。
 
 
 
 わが母の記
 
 昭和の文豪である井上靖が68歳の時に出版した自伝的小説。
 
 老いた母の80歳から亡くなる89歳について書かれた
 「花の下」「月の光」「雪の面」の3部作となっている。
 
 現在、講談社より『わが母の記 -花の下・月の光・雪の面-』の題名で文庫が発行。
 
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%8C%E6%AF%8D%E3%81%AE%E8%A8%98
 
 http://www.wagahaha.jp/trailer.html
 
 http://wagahaha-shien.com/
 
 
 
 
 
  
 
          
 
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