菩 提 寺 と し て 


お寺、何のために必要か。

菩提寺としての責務をもって、

ここのところに対応



壇信徒が菩提寺としてのお寺をどうとらえるかにより


お寺はそれにこたえるよう

努力しなければならないと思います。



耳に痛いご意見ございます。(>_<)




葬儀、法事の僧侶も葬儀屋に依頼できる。

墓地は霊園へ永代供養で納める。

お寺いらないのでは。



法事、納骨すませれば、墓参りだけでよいのでは。

それはそれである

魅力がないから寺離れ、それは住職の責任。


住職の力で寺を魅力あるものにしろ。

住職が地域に振る舞うくらいでなれれば人は集まらない。


利益があれば人は集まる。

その利益はなにかが問題。

価値有りか、価値なしか

お寺は何の為に必要かにつながる

縁があるか、縁がないか。



葬儀と法要だけがお寺の存在意義ではありません。

すべては、施主の判断によります。

施主(檀徒は)葬儀は、葬儀屋の言うように、まかせておけば安心。

葬儀も斎場を使うことが定着かしつつあります。

※法要も一部(斎場)友引の日に使う事もあります。






斎場で葬儀をする場合

寺院で行う葬儀の、内容とは違います。(寺院中心)

施主(檀徒は)葬儀は、葬儀屋に、まかせておけば安心。

斎場にあわせて変更される箇所があります。(葬儀社中心)

施主と葬儀屋さんとしっかり話しをして頂く必要があります。

葬儀屋さんにすべておまかせの場合

斎場側の判断で儀式を進行しますので

参列者の状況により

予定の時間が変更になる場合もあるようです。

話のいきちがいで

内容が省略される場合もあります。



斎場で葬儀をする場合

葬儀屋さんと色々事前にお話はしておきます。

住職は与えられた環境の中で最大限職務を遂行します。

※道具か置いてなければ無いかたちで儀式は進行します。

時間前に式がはじまった場合
待機していても、呼び出しが無ければ住職無しで式は進行します。
予定時間に住職は会場に出向きます。



斎場でおこなう葬儀については


葬儀屋の価値観が地域真ん中の価値観。

(地域の人間が利用する事によって影響を受ける)

価値観の定着

宗派を超えた、平等の価値観の共有

以上の事ご了承下さい



自分としては

故人の霊についての価値に値段をつける事に違和感を感じます。

そこのところが麻痺してはいけないとおもいます。

値段をつけると言う事は安い、高い、価値ある、価値無いの評価により区別がうまれます。

区別は個人の価値観選択によって決められますか゛



区別が差別につながる事無い事願います。

同じ代価を支払って同じサービスを提供する事が平等と思います。



葬儀屋は施主から依頼の葬儀だけのお付き合い?。


お寺は(保福院)

その都度状況により対応はちがくなります。

永いおつきあいの方にはそれなりに

短いおつきあいの方にもそれなりに

今後のおつきあいいただける方にはそれなりに

今回限りのおつきあいの方にはそれなりに

色々な価値観の方いらっしゃいますのでそれなりに対応したいと思います。


協力していだける方々と

仏様を中心にお寺を維持していきたいと思います。

_(_^_)_




 菩 提 (ぼだい)



菩提寺 ぼだいじ

先祖の墓や位牌をおき、菩提を弔う寺。檀那寺。


菩 提 寺

菩提寺(ぼだいじ)は、代々その寺の宗旨に帰依して、

(先祖の)位牌を納めてある寺。

菩提所とも呼ばれる。

ここでいう菩提とは「死後の冥福」を指し、菩提を弔う寺院という意味である。

例えば、徳川家の寛永寺や増上寺が有名。



香華院(こうげいん)は、仏前に香や花を供える役割を担う寺院のこと。
香華寺(こうげじ)とも呼ばれる。

陵墓・霊廟・墓所などに隣接して置かれる。


例えば、皇室の陵墓に隣接する泉涌寺、

伊達政宗の霊廟「瑞鳳殿」に隣接する瑞鳳寺などがこれにあたる。




檀那寺、旦那寺(だんなでら)は、

檀信徒(檀家)の布施、

すなわち檀那(旦那)によって運営される寺のこと。





本来の意味では信徒と寺との経済的関係を示しているに過ぎないが

江戸時代に寺請制度によって個人は必ず1つの寺に管理されるようになり、

多くの庶民は経済的支援をする寺と

先祖の墓を管理してもらうそれが一致するようになった。

いずれの名称も祖先崇拝における

祖霊の在所となる墓等を管理する仏教寺院を指しているが、

寺院と生きている子孫との関わり方によって名称が異なる






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