管 長 様 の お 言 葉 

現在最も僧侶に求められているのは、
高圧的な態度で布教を行うのではなく

平等の精神で、

ともに汗を流して布教
活動を行う事だと思います。

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布教の結果が布施につながる。

布教活動がしっかりしていないと衆生が迷走する。

縁 無 き 衆 生 は 度 し 難 し 。




 お布施についての 色々なお話 抜粋


個々の価値観と 地域価値観と 寺院の立場としての価値観。


価値観はいろいろあります。


坊主は檀徒に対して何をしてくれるのか。
してくれた事がそれなりに価値があるのか。
(価値の判断は個人差による、一律ではない)
権利のみ主張で義務は平等は、平等か。

縁無き衆生は度し難し
僧侶の意見を求めず、葬儀屋の意見等を優先す

坊主を評価するのは檀家なり。
大切お金を出すのだから。

心が伴わなければ、無功徳
戒名が立派でも、葬儀が豪華でもただなら価値もただ。
みえだけなら見栄の価値しかない。
別な意味で値段は付けられない。
手びねりの お布施なら それだけの 価値しかない。
自分たちの都合で昔のかたちをこわし、儀式も簡略化し

故人の価値をかたちにあらわす。
(お布施は少なく、葬儀屋にはそれなりに)

葬儀の負担を少なくする
(戒名は授与とし、布施は葬儀分のみとする)
権利のみ主張で義務は平等は、平等か。

色々な意見を話しあいにより解決が必要
話しあわなければ解決しない。


檀徒の要望に答えて資料を集めています。





パートのおばさんが一時間八百円だよ。

坊さん、三十分もお経読みはせんだろう。

四百円でもいいんじゃないの、と。

尊敬できないない坊さんに対しては、

あなた方は時間給で払ってくださったらいいと思う。

一時間お経を読んだら八百円でいい。

技術料を加えてもせいぜい千円から二千円ぐらいですませて、

文句言われたら、ああ和尚さん、
わし、あんたのところ檀家やめますわ、と言えばいいんです。

そしたら坊さんに仕事なくなるから、
ほんとうに自分の生き方を考えてくるんじゃなかろうか、とこう思う。


坊さんは今とにかくおかしくなっていますけれど、
仏教素晴らしいことには変わりがない。

仏教経典というものは、もう読み尽くせないほどたくさんあります。

そして、その素晴らしい仏教を方便でもって説く宗派というのも、
又限りなくあるわけです。

ところがこの仏教の根幹というか、大本、
それが何であるかということは非常に今、把握しにくいんです。




安い=劣っているのか。 高い=優れているのか。


お布施の安い高いについて、ある檀徒が話しをしていました。
元々人は平等である、高いお布施を支払って葬儀をやると言う事は
寺(坊さんが)がその人を低く見ているから高いお布施を払えと言う。
価値をお金で買う。
言われた方もそのような気持ちがあるから高いお布施を払う。
高いお金を払った事を自慢する。

自分達(檀家)が高い意識が有れば当然寺(坊さんも)も安いお布施で葬儀をする。
檀徒を高く評価していれば戒名は授与(無料)が当然で葬儀はお布施(少なくて)で良いはず。
自分達は、お金を補填(出す)しなければそれなりの価値まで届かない者とは違う。
自分達は日常的に色々なかたちで、寺院維持に貢献している。
自分達の意見を認めてくれる人達は沢山いる。


坊さんの生活の為にお布施を使うのはおかしい。
安いお布施で葬儀(六万円)法要(三万円)をやっている広告を見る。

お寺の運営は檀徒が査定して必要な経費は皆から徴収すればすむ。


そのようなお話がありました。





安いの基準も問題だが、

安いお布施の葬儀(六万円)法要(三万円)をして貰いたいなら、
宗教は自由ですから
そちらにお願いしたら良いと思います。
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会社の下で会社の意向で活動する。(協力寺院)

 基本的に請求書と領収書の発行は致しておりません。
との事らしい。


色々押しつけられても迷惑です。


どのような組織か知りませんが
安く出来るにはそれなりの環境があるからだと思います。
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会社の下で会社の意向で活動する。(協力寺院)


自分達は宗教法人です。
自分達には維持するべき寺がが有り
引き継ぐべき教義があります。
その上での葬儀であり戒名です。

お布施はお寺を維持していく為の資金です。

菩提寺として、戒名をつけて葬儀を行った件については、
施主が存在しない場合でも
その霊位に対しては出来る限り(施餓鬼等で)供養を継続して行きます。


現状不足分の経費は当方が補填しています。
お布施が入ったら返金して頂いております。




色々問題も起きてきています。
自分の意見を押し通す為、一部困った人もいます。

お話が通じないと言う事は、当方の責任もあると思いますが、、、、。


夜中に電話で酔っぱらいに、葬儀の件で怒鳴りつけられたり。

葬儀を一方的にキャンセルしたり。

お願いした(役僧のお布施)金額が入っていなかったり。

葬儀屋さんもお願いした事が通じなかったり。

葬儀が時間前に通知されず進行されたり。



こちらも巻き添えにして貰ってはこまります。
自分達だけの問題で無く、色々迷惑をする方々もあるとおもいます。


価値観の相違の結果かも知れません。


一律の価値観ではないので
葬儀の内容については施主と話して決定し対応します。

会社組織では有りません。

利益優先ではありません。

お付き合い出来る方(関係者)のみ、お付き合いすると言う事で対応しています。

関係者(臨済宗円覚寺派の末寺の檀徒又は信徒)である場合。
 以下の条件の方々である。

臨済宗円覚寺派の末寺の檀徒信徒は、
臨済宗円覚寺派の末寺の檀信徒名簿に記載されている方。

臨済宗円覚寺派の教義を信奉する者を檀信徒と言う。

臨済宗円覚寺派に所属して、仏事法要を委託する者を檀徒と言う。

臨済宗円覚寺派の寺院維持経営に協力する者を檀信徒と言う。

※上記に該当しない方は、その都度検討して、それなりの対応をする。


受領したお布施はすべて帳簿に記載し、
三万円以上の入金は受領証を発行する。

お布施は寺院の維持運営に使う。


位階料、基本的には一回限り、 位階相当の義務(布施)をした場合のみ永代とする。

日々檀信徒として、貢献積み重ねの結果それなりの(感謝を込めて)戒名を授与する。











平成二十年に入って葬儀も著しい変化のきざしあり。

葬儀じたい省略(出来ない生活環境にいるため)、火葬後納骨のかたちが数件あり。

寺として対応追いつかず、炉前葬儀(直葬)等にて儀式のかたち
(僧侶無くても出来る葬儀を、僧侶による葬儀を残す努力している。

原因として、布教の徹底が出来ていない。
@葬儀屋さんお話と、A地域の慣習と、B寺の話を施主が
(どのように優先していくか)判断した結果。
(僧侶を必ずしも必要とは限らないとの環境もあるようである)

葬儀をする事により
経済的負担が生活を圧迫している。

個々の生活優先の為近隣の人の協力をお願いしにくい。

知らない人が増えている、
率先しての助け合いが出来ない環境になっている。

その為昔ながらの助け合いによる葬儀が出来にくい環境になっている。

葬儀さんにお願いすれば、ある程度の問題(通夜葬儀の儀式支度一切)は解決出来るが
経済的負担が大きい。

その結果

寺に入るお布施、供養料が少なくなる、出せなくなる
体裁をととのえる為に借金して葬儀する事になる場合もありえる。

お布施が出せない(用意出来なかったので)から、
法事が出来(納骨だけとか、塔婆だけ書いてくれとか)ないと言う人もいる。

基準があっても意味を持たない、型に当てはまらない事が増えている。

お金でなく、現物(玄米、餅米、野菜、果物、貰いもの油、洗剤、乾物等)の布施もある。

お布施が出せないほど葬儀屋に負担するなら

寺を使ったら負担少なくなると話しているが、

本堂利用して通夜葬儀

仕出し屋さん(http://www.tochuken.co.jp/houji03.html)の食事取り寄せも出来るが、

それでも負担が多いのか、(世間体の為か)数件程度しかおこなわれていない。

寺の収入は低迷状態。(お気持ちで、に対しての変化)
生活環境の不安定な状況の為。お気持ちは無い状況の方も増えている。

@戒名授与。(無料と解釈している者もいる〓0円)
檀徒の今までの貢献に寺として戒名、位階を授与する事でその気持ちをあらわしている。
又今後の貢献をお願いする意味合いも含まれている。
檀徒が戒名、位階を受けると言う事はその気持ち(今後もお寺に貢献する)に答えるとも言える。

Aお布施と言う言葉を逆手に取る。
(葬儀屋の俗名葬儀以下の布施。金額を値切る、支払わない)
葬儀屋では何でも金額が決まっている。
お寺の場合同じ事を行っても家庭の事情により規定金額が変わる場合もある。
葬儀屋からやすいですねー言われるようではこまる。
こちらの価値観では無い角度からの見方を同じ価値観としてみられる事にどう対応するか。

協力して頂ける方から布施して頂く。


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