管 長 様 の お 言 葉 

現在最も僧侶に求められているのは、
高圧的な態度で布教を行うのではなく

平等の精神で、

ともに汗を流して布教
活動を行う事だと思います。

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布教の結果が布施につながる。



  お 布 施 に つ い て  

人によっては解釈の違いを感じます。

何かの勘違いから振り回されているよう感じます。

言葉のすり替え。


ふ‐せ 【布施】
《(梵)dnaの訳。檀那と音写》仏語。

1 六波羅蜜の一。施しをすること。

金品を施す財施(ざいせ)、

仏法を説く法施(ほうせ)、

恐怖を取り除く無畏施(むいせ)

の三施がある。布施波羅蜜。

2 僧に読経などの謝礼として渡す、金銭や品物。「―を包む」


ふせ‐もの 【布施物】
僧侶に施し与える金銭や物品。ふせもつ。


ふせないきょう 〔フセないキヤウ〕 【無布施経/布施無経】
狂言。
僧が布施を出し忘れた檀家(だんか)へ、袈裟(けさ)を忘れたと言って戻ってくるが、
施主が布施を僧の懐へ入れると、懐から袈裟が落ちる。


何の為に...するのか。


生きる道としての仏教〜与えるということ 布施


仏典からそういう思想に裏付けられた言葉をご紹介しましよう。
人は収入に応じて、布施をしなくてはならない。
いくらとはいわない。

でも、収入に応じてなすべきだと釈尊は教えています。

「正しい方法で稼ぎ、よく働いて富を得たなら、
請う者に飲食物を与えて喜ばせよ」。
(インド原始仏典「イテイヴッタカ」)

人の物を取ったり、詐欺をしたりということではなく、
正しく稼いで、そのお金を人に布施せよ、というのです。

 「蓄えが少しならそれに応じて少しの物を、中程度なら中くらいを、
たくさんあるなら多くの物を与えよ。
与えないということがあってはならない」
(インド原始仏典「ジャータカ」)という言葉もあります。

現在でもインドではっきりと自覚され、実行されております


最近は自分のことばかり考え、
エゴがはびこっている世の中になっています。

人間は自分なりに納得して、生きていかなければいけない。

それが幸せだと思うのですが、
それにはやはり他人に対して与えていくことがなければならない。

 人間とは「人の間」ということで、自分一人で生きているわけではない。

自も他も共に幸せにということは、自は他に与えなければならない。

あまりに他者に与えることが少ない社会だからこそ、
バラバラ社会になっている。

 そういう関係はお釈迦さまの教える布施に大きくかかわっています。

お互いに身近なところから考えていかないと、
自分なりに納得する人生もできないし、他も良くならない。



仏教経典というものは、もう読み尽くせないほどたくさんあります。

そして、その素晴らしい仏教を方便でもって説く宗派というのも、
又限りなくあるわけです。

ところがこの仏教の根幹というか、大本、
それが何であるかということは非常に今、把握しにくいんです。




こんぽん‐てき 【根本的】
[形動]物事が成り立っているおおもとに関するさま。基本的であるさま。「―な誤り」


は‐あく 【把握】 [名](スル)
      1 しっかりとつかむこと。手中におさめること。          
                   「政権を―する」「その堅い―の手を緩めて」〈菊池寛・名君〉
2 しっかりと理解すること。「その場の状況を―する」



東京国際仏教塾


宗派の枠を超え、伝統仏教を通信教育中心で学ぶ

当塾では、在家の仏教徒として人生を歩む在家得度(授戒会・帰敬式)の
受式を推進していますが、在家得度後さらに一定期間の研修と条件によって、
出家得度して僧侶になる道も開かれております。

(すでに過去20年の間に各仏教宗派に400名以上の僧侶を輩出致しました。)


布施について

示されている価値基準を受け入れるか否かは

個々の価値観なので、突き詰めても、最終的には個人の判断次第。



ブランドとは製品につける名前、
ないしは名前がついた製品そのものをいう。

真・善・美・愛あるいは仁など人間社会の存続にとって
プラスの普遍性をもつと考えられる概念の総称。

自己を重ね合わせ、
自己実現や表現の手段とする「意味づけ」の機能
製品やサービスまたはそれを提供する企業を区別するための
名称や記号、デザイン、メッセージなど。
またはその組み合わせのこと。

転じて他と区別できる特徴を持ち
価値の高い製品のことを指す場合がある。



生活に則さない無理をすると。

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墓穴(ぼけつ)を掘・る.

墓穴を掘る
身を滅ぼす原因を自分から作ることのたとえ。「策を弄して―・る」
[補説]この句の場合、「墓穴」を「はかあな」とは読まない。

「墓穴(ぼけつ)を掘る」は、自分の行為が原因で破滅する意も表わす。



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自分の立場で思えば

ひとえに布教活動の未熟な結果が現実である。

価値を見いだせない結果である。