資 料 文 献
「無学祖元の女性教化と女人往生観」抜粋 保福宗仁、資料文献1
http://www.fjnet.com/fjlw/201108/t20110818_183692.htm
「無学祖元の女性教化と女人往生観」
2011年08月18日 19:10:09 佛教在? 点?:次 要旨
無学祖元は、中世期における渡来僧の一人であるが、
その門下からは中世に傑出する尼僧、無外如大が出ている。
また、その女性参禅者が多いこともすでに指摘されている。
平安時代に仏教思想が流布される過程で、
仏教は女性を穢れたものとする思想を明確にし、尼寺も著しく衰退した。
そこで、女人往生を否定する教説が著しく強調された。
しかし平安末期から鎌倉時代にかけて戦乱が頻発し、
夫に先立たれた女性が仏教に救いを求めるようになると、
仏教はそれまで否定してきた女人往生を考えざるを得なくなった。
いわゆる、鎌倉新仏教の開祖たちもそれぞれに女人往生説を展開している。
ここでは、無学祖元の語録『仏光円満常照国師語録』より、無学に参禅した女性と、
無学が彼女らに与えた法語などをもとに無学の女人往生観について考えたい。
中央民族大学外国語学院日本語系 外籍専家
渡邉 索
はじめに
従来、前近代における女性の地位は低いと見られてきた。
今日の日本中世史研究においては必ずしもそうではない、
特に女性が財産相続権を
有していたことに注目して
女性の地位はある程度保障されていると考えられている。
一方で仏教における女性差別は厳然として存在し、
それについてもこれまで様々な研究が行われてきた。
概して前近代の仏教がいかに女性を差別してきたかを解き明かしてきた。
中世についても、
既に女人往生や尼僧、女性参禅者といった様々な観点から
中世仏教がどのように女性を捉えたか明らかにせんと試みられている。
しかし、それらに言われているとおり、女性に触れた史料は少なく、
中々全体像を明らかにすることは困難であると言える。
中世の女性像を明らかにするには経済的な側面ばかりでなく、
様々な要素を合わせて総体的に判断しなければならないはずである。
その中でも仏教の位置付けは重要だと思われる。
なぜならば、
「宗教における性差別問題は、
宗教のみの問題領域にとどまるものではありえない」のであり、
「宗教とは、それに基礎づけられて形成された文化パラダイムの中核として、
そのパラダイムに生ずる一切の世界観、価値観、人間観、モラルなどから社会制度、
性規範、主体形成のあり方をまで支配する力をもつもの」だからである[1]。
つまり、
前近代の人々を支配する仏教の女性観を明らかにすることで
中世における女性の地位を
精神文化的側面からとらえなおすことができると考えられる。
中世には劇的な時代の変化に相関していわゆる
“鎌倉新仏教”とかつて呼ばれた仏教の新潮流が発生した。
それらの新しい仏教思想は女性を取り巻く中世の時代状況に影響され、
あるいは時代の女性観を規定していたはずである。
ここでは、中世に中国より渡来した禅僧?無学祖元の語録を頼りに、
無学がどの様に女性を捉えていたか考えてみたい。
同時にこれによって中世女性像を捉え直す一つの端緒になればと考えている。
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