2、中世仏教開祖の女人往生観
2、中世仏教開祖の女人往生観
中世仏教開祖たちの女性観はどのようなものであっただろうか、以下に示してみる。
法然(浄土宗開祖)の場合、
善導の「弥陀の本願力によるがゆえに、女人も仏の名号を称すれば正しく命終の時、
則ち女身を転じて男子となることを得、仏の大会に入りて無生を証吾す」(『観念法門』)
を受け、既存仏教が、五障三従によって女人の成仏の道をふさいでいると強く批判。
特に教団を支える多くの女性信者が居た[7]事が分かっている。
その主張は阿弥陀の力によって
女性は男性に変化して成仏できるという“変成男子”による成仏である。
親鸞(浄土真宗開祖)は
「弥陀の大悲ふかければ、仏智の不思議をあらわして変成男子の願をたて、女人成仏ちかひたり(『大経和讃』)」、
「弥陀の名願いによらざれば百千万却すぐれどもいつつのさわりはなれねば、女身をいかでか転ずべき(『善導和讃』)」
とあり、法然と同じく変成男子による救済を説いた。
一方で「男女大小聞きて、同じく第一義を獲しめむ。
…まさに知るべし諸の衆生は、皆これ如来のこなり(『信文類』)」とあるなど男女平等の
往生を説いており一定でない。
さらに親鸞が妻帯していたことは有名だが、親鸞には「女犯」[8]の観念があった。
また、真宗教団には尼は居ても尼寺はなく、
寺の主人たる僧を坊主、妻尼を坊守として扱った。
日蓮(日蓮宗開祖)の場合、
「此の経持つ女人は一切の女人にすき(過ぎ)たるのみならず
一切の男子に越へたりとみて候(「四条金吾妻宛書状」[9])」とあり、
『法華経』こそ唯一の救い、女性を救う教えであると主張した。
これによって、法然らの浄土教説は女人を助ける法ではないと批判している[10]。
『法華経』は日蓮によって女人救済の法と解されたのである。
では、中国からもたらされた禅宗においては
どのように女人往生が説かれたのであろうか。
入宋して曹洞禅を伝えた道元の場合、
在来仏教が行ってきた女人結界を鋭く批判し、
男女共に求道心あるものは平等と主張した。
また道元は教団に多くの尼僧を迎えた。
さらに「男性を惑わせる女性が穢れているのではなく、
女性に惑わされる男性が穢れている」という現代にも通じる斬新な教説を展開した。
しかし、「女身成仏の説あれど、またこれ正伝にあらず」と言うなど女人の往生には否定
的でありその往生は変成男子[11]によるとした。
これまで、中世仏教開祖たちの女人往生説についてみたが、
その共通する点は既存仏教の女人結界への批判と、
“変成男子”による女性の往生に見ることができる。
中世には宋元との民間貿易の拡大にともなって僧侶の往来が頻繁になり、
特に中国から禅宗の高僧が来日したことが時代のトピックとなっている。
これらの僧侶は日本に大陸最新の仏教教学もたらした。
中国から来化した渡来僧は女人往生の問題にどの様に対処したのであろうか。
宋朝より来日した無学祖元の門下に無外如大という尼僧がいる。
彼女は無学臨終に際して「後事を託す」(『佛光国師塔銘』)とまで言われ、
後に尼寺を官寺として組織した尼五山で開山になる。
如大については「その存在は日本女性史?宗教史上
極めて重要な存在として位置付けられる[12]」とされている。
以下、無学祖元の女人往生観について少し考えてみたい。
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3、無学祖元について、その来歴と教化の態度、へ
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