4、無学祖元の女性教化と女人往生観 


4、無学祖元の女性教化と女人往生観

女性の往生が否定されるなかで、
救済を求める女性たちはそれぞれに高僧、禅知識を尋ねており、

「鎌倉時代に来日した渡来僧の周辺には、禅宗に帰依し、
真摯な求法修行のなか渡来僧と問答を交わし、
その力量を認められた尼僧が何人もいた(原田正俊)」と言われる。

円覚寺文書によれば
北条貞時は『禅院制府』(「円覚寺文書」円覚寺蔵)を定め、女性が寺に入って
良い日を規定したといい、女性で参禅する者の多かったことが忍ばれる。

この中で無学はどのように女性と関わったのであろうか、
尼僧の研究に史料的制約が多いことはすでに述べたとおりだが、
以下無学に関わる尼僧、女性参禅者について語録から見ていきたい。

無学祖元に関わる女性としてその筆頭にあげるべきなのは無外如大である。

無外の伝記は『延宝伝燈録』巻10にあり、
「京兆景愛尼無外如大禅師、別号無著、初名千代野。
陸奥太守平泰盛之女…」などとある。

しかし安達泰盛(1231〜1285年)の娘とは考えにくく、「資寿院置文」[14]に記さ
れる無着の伝記が混入した(舘2008)と考えられている。

出自も明らかでない無外ではあるが、『佛光国師塔銘』には、
無学の臨終に際して「後事を託」されたほど無学に愛された高弟であり、
無学が最も頼んだ弟子としてバーバラ?ルーシュ氏により紹介されている。

また後に尼寺を官寺として組織した尼五山筆頭の景愛寺で開山となっており、
その頂相が宝慈院に現存している。

尼僧の頂相は極めて稀で同時代に高く評価されていたことが分かる。

語録上にも無外の名は散見され、
その法器の高さが無学の率直な言葉によって度々賞賛されている。

無学の日本における教化の大きな成果の一つと言えるのが
この無外如大の存在であり、

無学の高弟の中から後に
尼五山を再建するほどの尼僧が登場したことは注目すべき事実である。

他に語録に見られるその他の尼僧、
女性参禅者を列挙すると、以下の通りである。

 妙覚大姉
「妙覚大師下火 五障身妙覚体。猶如摩尼出於濁水。…」(巻4)
 道性大姉(巻7)
 僧爾大姉(巻7、9)
 「示僧爾大師 …爾不見妙總。亦是一女流。」(巻7)
 海雲比丘尼(巻7)
 小師尼慧蓮(巻7)
 小師慧月(巻7)
 長楽尼院長老(巻7)
 尼慧禅(巻8)
 尼本上人(巻8) が見られる。

これらの内、大師とあるものは、
「大師は高僧に朝廷より与えられる号であるとともに、
禅宗の信仰深い女性を指す。

大姉と同義」(舘2008)とあることから、
内容から見て、女性として良いと思われるものを挙げた。

以下に具体的な法語をあげて考えてみたい。

まず、巻7には「示小師尼慧蓮 仏性覚体。妙明円満。不問女人。不問男人。
受用具足。不用安排。…」とあり、

「男性であれ女性であれ、
具足(戒)を受けた者は区別がないのだ」としている。

また、同じく巻7を見ると、「示小師慧月 ?性如宝月。
…是名智慧光。此光照山河。男女無異相。…証此妙理時。便入諸仏海。」と、
同じく男女の別がないことを言っている。

 また、無学は「誰が浄土に往生できるか」と質問された際に、
「(接荘田文字普説)…昔迦葉尊者一日乞食。不擇貧富乞食。路中逢一女人。
見尊者行乞。廻起念。思身辺更無可有。只彼器中有潘汁。挙手奉献。尊者受
施。訖迺騰空。現十八変相。女人即得生天。…」(語録巻4)と答えている。

摩迦迦葉に布施を行った女性が成仏を得たという仏伝を引いて、
「功徳によって男女の別なく往生できる」と答えているのである。

さらに、時宗が仏賛を求めた際には、
「太守請賛仏賛五大部経典普説 …又有一宝女。
持珠白仏願我此珠貫仏頂上即擲。其珠便貫仏頂。人天大会。各見珠中所現
来世成仏劫土。仏言此宝女已於九万六億仏所。種植善根。所生之処。」(語録
巻6)とあるが、

これは自らの頭頂に珠を投げた女性がなぜ成仏し得るか釈迦が説いた仏伝を
紹介しているのである。

 これらを総括すると、
女人の往生を積極的に支持していたと言える。

とりわけ「男女の別はない」とする教説は
画期的なものに見える。

しかしこ点については注意を要する。次節で述べたい。

トップへ
トップへ
戻る
戻る