<(_ _)>懿徳山 保福院 臨済宗 円覚寺派 m(_ _)m
法の深山
一、
のりのみ山の さくら花
昔のままに 匂うなり
道の枝折(しおり)の 跡とめて
さとりの高嶺の 春を見よ
二、
法のみ山の ほととぎす
昔のままに 名のるなり
浮世は夢ぞ 短か夜と
驚きさます 声をきけ
三、
法のみ山の 秋の月
昔のままに 照らすなり
教えの風に 胸の雲
はらいて真如の 月を見よ
四、
法のみ山の 白雪は
昔のままに つもるなり
身をも捨てたる 跡ふみて
深き教えの 奥をとえ
仏教経典というものは、もう読み尽くせないほどたくさんあります。
そして、その素晴らしい仏教を方便でもって説く宗派というのも、
又限りなくあるわけです。
ところがこの仏教の根幹というか、大本、
それが何であるかということは非常に今、把握しにくいんです。
この部分の布教活動が充実されていないようである。
この部分が一番大事と思っています。
異教徒であっても、安心(peace of mind)を伝えたい。
(受け入れるかは個々の問題です。)
自分の力不足を痛感しています。
すばらしさを伝えられない、歯痒さがあります。
布教は一生の仕事です。
保福院ついて(道案内)
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<google_maps>〒410-2505 静岡県伊豆市八幡371−3 (保福院)</google_maps>
管長様よりかつて
徳(とく)は孤(こ)ならず必ず隣(となり)あり
《「論語」里仁から》徳のある者は孤立することがなく、
理解し助力する人が必ず現れる。
の墨蹟を頂きました。
不器用な人間だから、日々努力と試行錯誤が必要と思っています。
孤立することがなく、理解し助力する人が現れる。
それで
一人前の坊さん。
そこからが本領発揮。
坊さんも、寺も、墓もいらない、戒名も葬儀も法事も不要。
そのような価値観の人も身近に出て来ている。
その現実布教を持って対応していかなけれは゛ならない。
行動はすべてみられている覚悟で対応しなければならない。
生活全てが布教にとつながる。
自分自身がみずから行動で示してこそ布教になると思います。
とは言いつつも
年とともに体力気力も低下しつつある事も現実です。
日々是好日
寺 院 検 索
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